第9回全日本語りの祭り開催地

岩手県遠野市探訪

会津若松から遠野へ
全日本語りネットワーク運営委員 岡田一男
2008年の「第9回全日本語りの祭り」の開催地となる遠野は、日本一広い県域を持つ岩手県の中南部に位置し、東は釜石市、西は江刺市に接し、遠野三山ある早地・六角牛山・石上山に囲まれた東京都23区の広さを有するという広大な盆地に位置である。

遠野が歴史に登場したのは、1189年源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼしたときに戦功として、阿曽沼広綱が閉伊一二郷を与えられて、遠野が初めて日本の歴史に記されたのである。
それから1627年南部氏の所領となるまでの440年間領主として阿曽沼氏が治めた。以後南部直栄一万二千石の城下町として明治維新までの260年間つづいた。
広大な盆地の立地を活かし馬産を主体とした農業とで、山間の盆地でありながら豊かな暮らしの地であった。現在もそのなごりとも言える、遠野馬の里はスポーツ流鏑馬の神事・東北馬力大会・乗用馬市場など盛大に開催されている。

遠野の名は民族学上での農村の伝説・口碑編集した遠野物語(柳田国男)で名高い。

私をはじめ、遠野を訪れる多く方々は、早地峰しし踊り・青笹しし踊り・南部ばやし田植え踊り・太い神楽・虎舞・剣舞・さんさ踊りなど民族芸能、そして、広大な土地に曲り家を移築した遠野村は、日本の原風景を思わせる懐かしい風景に郷愁を感じさせてくれるからなのであろう。
まだまだあるぞ!
南部最大曲り家の千葉家住宅・大慈寺の19代住職義山が数次の凶作による餓死者を追悼するため、さまざまな自然石に刻んだ線刻の500体の羅漢象・新石器から青銅器時代の巨石文化の遺産の墳墓、高さ2メートルの台石に7メートル余の巨石が浮いた感じで乗っている。また一説には武蔵坊弁慶が作ったとの伝説ともなっている続石もある。


NHK朝ドラのロケ地ともなったカッパ伝説のカッパ淵、夜の光のめがね橋・トロン温泉のたかむろ水光園。神社仏閣も見逃せない、大同元年(806)年の早地峰神社を初め阿曽沼氏が城の北東に草創と伝えられる遠野八幡宮など10余に及ぶ寺社。そして遠野の大きな転換となった古い戦場五輪峠は、阿曽沼氏が関ヶ原に出兵した折、南部氏と結んだ鱒沼氏に五輪峠で待ち伏せされ、2度の戦いで敗れ遠野へ帰る事が出来なかった阿曽沼氏は終わり、ついに南部氏の所領となってしまったのである。

さて、遠野の旅の楽しみの一つに宿のもてなしは欠かせなのであるが、どの民宿もそれぞれ一味の特色があり、料理にもてなしに趣向をこらしている。自家製の濁酒も見逃せない美味である。
街中での食事はやはり遠野名物ひっみ、ジンギスカンのあんべ。

土産もあるある、クルミとゴマを練り込んだ「上げガラス・みそを練り込んだ饅頭・行者ニンニクラーメン・濁酒、地酒・そしてなんと言ってもホップ日本一の生産を誇る遠野の地ビール」はお勧めである。

今回、遠野において「第9回全日本語りの祭り」開催関ることになって、私は遠野へ3度目の問訪の機会を得た。

最初に訪れたときには20数年前、街中の歩道が遠野に自生しているブナの木を活かした厚板で出来ていて旅人に優しい木の感触と響きが楽しかった。茶色に塗られている電柱も街の人達の提案であったと、当時の市長さんからのお話であった。そのころから遠野は、他都市にない街の演出をみんなで考えているのだなぁ〜と・・・・・

今度の訪問で、また新しい感動を得ることができた。それは、遠野駅に開設された語り部屋、遠野来訪の客を語りで持てなす。新しい角度から語りを通しての街興しにチャレンジしている、それをボランティアで支える工藤さん達「いろり火の会」の遠野の街興しと文化の継承に掛ける情熱は、木の板の歩道を造って遠来の客をやさしく迎えてくれた、当時遠野の街の人達かからいただいたと同じ感動を呼び起こしてくれたのであった。 

創生事業で整備した「民話の道」JR遠野駅前から市立博物館までの500メートルの民話の通りも散策したい。

10月遠野で開催される「第9回全日本語りの祭り」でお会いしましょう!・・・

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